Q.父親不在、愛情表現が得意でない母のもとで、いつも愛されたいと思って生きてきました。今は子供ができて、与える愛を知り、自分の親も不器用ながら愛してくれていたのかなと思えるようになってきました。不器用な愛情表現でも、愛は伝わると思いますか?

🍑「愛は見えないから、わからないですよね。でも、お父さんがいなくても愛は絶対その家にはあったりするし、二人揃ってても愛がない家もあると思うんです。逆に自分が感じてきたその『愛されたい』という気持ちを、今はお子さんができて、そういう気持ちにさせたくないと思うその気持ちも愛。愛されていることをお子さんは当たり前だと思って生きてほしいなというのもあるんですよね。『すごい愛されてんな、俺』とかあんまり思わないじゃないですか。でも今考えると自分も『いい環境でダンスできてたな』とか、『いい学校に行けたな』と後になって気づく。
愛を与えたい人に対して『この人が明日、どんな気持ちで生きていたいか』を考えることが愛なのかなと思う。愛情表現に器用も不器用もないかなと思う。シンプルだし。
親に対しての愛情、子供に対しての愛情、彼女とか彼氏に対しての愛情、友達に対しての愛情、すべて発し方は違うじゃないですか。でも根本的なエネルギータンクの元となる工場みたいなところは一緒みたいなイメージです。
『みんながどんな感じで幸せに生きてくれるんだろう』と考える脳みそみたいなのがタンクであって、『じゃあ、お母さんは東京に来た時に美味しいご飯連れてってあげよう』とか、『たまには地元に帰っておばあちゃんに会いに行こう』っていうのが愛情の形になって変わっていく、そんなイメージ。この方は、『与える愛を知った』と言われてるので、十分愛情を注げてる、伝わってると思います」

――不器用な言葉でも、うまく言えなくても伝わりますか?

🍑「うまく言える人なんて多分いないですよね」

――とくに恋愛だと、『愛してると言ってほしい』という感情もあったりしますよね。

🍑「そういうのは言ってあげればいいと思います

――愛とはそれだけではない、と。

🍑「そう、今生活できてるのも、誰かの思いやりであり、愛情でもあるから。とんでもない愛に囲まれて日々暮らせてるなと思いますよね」