【元HKT48・渡部愛加里】1st写真集『シアワセ』で水着&ランジェリーに初挑戦! HKT48卒業後の服飾専門学校での学びと将来の夢を語る

アイドルから専門学生へ。“好き”を追いかけて歩いた、新しい日常
――2018年からHKT48で活動されていましたが、アイドルになるのは小さい頃からの夢だったのでしょうか?
渡部 もともと、ライブや握手会に行くくらい48グループがすごく好きでした。「アイドルになりたい」というより「48 グループに入りたい!」というのが強かったと思います。
――憧れを抱き始めたときのことを覚えていますか?
渡部 初めてAKBのライブへ行ったのが小学 5 年生のときだったんですが、そのときのステージの輝きは一生忘れないと思います。顔の発光が違いすぎて「こんなにキラキラしている人が存在するんだ」と衝撃でした。
――実際に夢を叶えてステージに立ち、2023年に卒業されました。ご自身の中でどういう気持ちがあったか教えて下さい。
渡部 高校を卒業するタイミングだったので、「人生の中で何か一つ勉強したいな」と思っていたんです。昔から服が好きでしたし、ミシンで小物を作るのも好きだったので、服飾の学校に行くことを決めました。

――手芸はいつぐらいからやられていたのでしょうか?
渡部 中学1年生のときに手芸部に入っていたんですが、そのときからミシンで物を作るのが好きでした。ポーチやトートバッグなどをYouTubeで調べながら作ったり、羊毛フェルトでマスコットを作ったりするのも結構好きでしたね。
――高校卒業後は服飾専門学校に入学されました。HKT時代とは生活がガラッと変わったのではないでしょうか?
渡部 毎日学校に決まった時間に行って、机に向かって決まった授業を毎日受けていました。そうした生活は中1のとき以来だったので、いきなりの環境変化で追いつけない部分はありました。最初の1、2カ月ぐらいは寂しい気持ちでいっぱいになったのを覚えています。
――HKT48に戻りたいという気持ちにはなりませんでしたか?
渡部 正直そういう気持ちはありました。やっぱりメンバーと一緒にいた時間は楽しかったですし、卒業後もずっと連絡を取っていたので、みんなに会いたくなりましたね。専門学校では、最初に友達と馴染むまで少し時間がかかりました。だいぶ人見知りをしてしまって「友達ってどうやって作るんだろう?」とちょっと悩んだ時期もあったのですが、徐々に打ち解けていって学校生活がどんどん楽しくなっていきました。

――実際はどんなスケジュールで生活されていたのでしょうか?
渡部 朝は7時に起きて、9時から16時半くらいまで授業がありました。毎日通っているうちに同級生との仲もどんどん深まっていったんですけど、結果的に2年しか一緒にいなかったとは思えないほど濃密な関係になりました。
――学校では具体的にどういう学びを?
渡部 デザイン画を描く勉強や色の勉強、服を縫うミシンのことなど、盛りだくさんでした。数学などの教科を勉強するのは苦手だったんですけど、ものづくりは好きだったので、楽しい授業ばかりでしたね。
――思い出深い授業があれば、教えて下さい。
渡部 1年生の終わりぐらいにジャケットのセットアップを作る実習があったんです。決められた期間内に仕上げなくてはならないのに「間に合わない!」と焦ってしまって大変だったんですけど、友達と「頑張ろう」と協力し合って、最後にできあがったときの達成感は大きかったです!中学校から高校の頃は普通の学生生活をあまりしてこなかった分、この経験はすごくいい思い出になりました。
AUTHOR'S PROFILE
SHIHO ISHINO
石野志帆
TV局ディレクターや心理カウンセラーを経て、心を動かす発見を伝えるライター。趣味はリアリティーショー鑑賞や食べ歩き。海外在住経験から、はじめて食べる異国料理を口にすることが喜び。ソロ活好きが高じて、居合わせた人たちの雑談から社会のトレンドをキャッチしている。






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