「30までにと “自分の声が” うるさくて」by LiLy sweet限定の”アラサー”エッセイ連載 #05「自分のまわりから変えていきたい。そうやって世界は変わっていく」
ABEMA新オリジナルドラマ『30までにとうるさくて』と連動し、sweetWEBでは、ドラマの脚本協力を担当した大人気作家LiLyさんによる短期連載を掲載中。金曜日の夜21時は、ここでしか読めない素敵なエッセイに酔いしれて♡ あなたが誰にも言えずひとりで悩んでいたことのヒントが、見つかるかも。
『30までにと “自分の声が” うるさくて』
by LiLy
#05
「自分のまわりから変えていきたい。そうやって世界は変わっていく」
遥がキレた。
社内のチームメイト兼浮気相手:知也の“彼女”がSNSに写真付きで“浮気”を暴露し、想像もしていなかった最悪な“バレ方”に焦ったものの、暴かれた相手はこれまた同じチーム内の女性アシスタント:相田であった。
遥はキレた。
知也に、ではない。
“彼女”に、でもない。
もちろん、相田さんにでもない。
「こういうときっていつも、
女性が移動になって男性はそのままですよね」
アシスタントは替えが効くので相田さんを異動させ、プロジェクトリーダーの知也はそのまま残らせると言った男性上司に対してのセリフである。
上司「たまたまだよ……
そんなことでつっかかるなって」
「そんなこと? そんなことってなんですか!
相田のキャリアが台無しになるんですよ!」
遥はキレていた。
このスキャンダラスな
トラブルの対処方法に。
「男はしょうがねぇなあみたいになって、
女はしれっと飛ばされるの、
全然意味わかんないですし……‼︎」
遥はブチキレた。
クソみたいな性差別に、
クソな上司に、クソな知也に。
「それに、それならわたしも
異動にしてください!
私も知也とやってたんで!
相田さんが異動になるなら、
私だって同罪なんで!」
クソな自分を
クソどもに
カミングアウトするという、
最高にフェアな姿勢と共に!
婚約中の身で浮気をするヒロインの“視聴者好感度”を個人的には心配していたのだが、この「一発」でお釣りがくるほど精算された。(と、私は感じた)。遥はクソがつくほど「いい奴」である。しかもーーーーーガチギレ正直モードの遥は最後に上司に吠えた。
「っていうか、
あんただってうちの部の
三上さんとガッツリ不倫してたでしょ!!
あんたが一番先に異動してくださいよ!!」
ブラボー!!
スタンディングオべーション!!
このセリフで、もうなんだかよくわからないほどの爽快感が脳天を突き抜けた視聴者は多かったに違いない。私においては、ツムジからソーダ水が吹き出したかと思うくらいにキモチヨかった。
体内からシュワーッと爽快に放出された“ソーダ水”の正体は実は、ドロドロの泥水だ。その泥は、これまでに蓄積され続けてきた“世の不条理に頭を傾げた回数・飲み込んできた本音たち”でできている。
「意味のわからない暗黙の了解」に満ちた社会の中に身を浸し、「だけどいちいち突っ込んでいたら失業するリスクがスカイハイ」であるために、「これがオトナだ」と自分さえ騙して生きている社会人はきっと多い。
つまり、本当は、この状況で
ブチキレる遥こそ▶︎正常だ。
男はセーフで女はアウト?
セックスしたのは男と女、
同罪じゃねぇ? ▶︎当然だ。
上司に暴言【ほんとうは正論】を吐いたクレイジーな女【ほんとうは至極真っ当な人間】=遥がサクッとほんとうに異動させられたことにも驚いた【それが今のリアルなのだ】が、私が個人的に最も引いたのは、抱いた女三人が自分とのセックスのせいで地獄を見ている中、「彼女たちは誰も悪くない。俺がチーフを降りるから彼女たちはそのままで」と知也が言わなかったことだ。(この状況で、そう言わずにいれることの方がある意味スゴイと思うんだけど……)
まったく、
最後までダセェな、
女々しいクソが…。
と、いうような
ニュンアンスの感想を
知也に抱いたわけだが、
お気づきだろうか?
知也の態度=女々しい
遥の態度=男らしい
今でもまだ高い頻度で
使われるコトバにまで
性差別は染み込んでいる。
これは、「男はこう」で「女はこう」という“印象操作”が大昔から続いてきている何よりの証拠。言葉は大人から子供へと受け継がれ、その裏に染み込んでいる印象・風潮もセットで次の世代へと刷り込まれてゆく……。
―――――が、幸い、
「言葉」は変わっていく。
使う「言葉」には、
その人の「思考」があらわれる。
人々の「意識」と「思考」が変われば、
「文化」が変わり、
それはじきに「時代の変化」と呼ばれ出す。
誰も使わなくなった言葉は「死語」として葬られ、
旧価値観は、歴史の教科書の中へと吸収されてゆく。
――実は、私自身も今となっては「死語」のような
本のタイトルでデビューしてしまった張本人である。
25歳の時に初めて出版した恋愛エッセイの題=『おとこのつうしんぼー平成の東京、20代の男と女、恋愛とセックスー』。たったの15年前に出版した書籍だけど、今となっては「おとこ」にも、特に「つうしんぼ」のほうにコンプライアンスをかけたい……と思ってしまう。(内容そのものは副題の通りなのだけど、異性である性別をジャッジします! と宣言している題って……。もう廃盤になっているので今から変えることはできないけれど、15年前に戻れるとしたらリタイトルしたい)。
そして、現在進行形で悩んでいることもある。
このエッセイの中でも私は何度も「男」「女」「男女」という言葉を使っている。もちろん、「性別以上にその人の持っている性質によるから一概には言えない」という前提で語ってはいるけれど、中にはやっぱり性別によっての特性が強く出るところもある。それらは主に、本能の差に由来するところ。
そして、そのような「男アルアル」「女アルアル」を話すのは、どちらの性にとってもエンタメ要素も高く、それはそれでもちろん「アリ」だとも思っている。――――でも、問題は単語の選び方、だ。
わかりやすいという理由から「男女は」という書き方を私がすることによって、同性愛者の方にとっては、このエッセイも「自分たちが無視されている」と感じるものになってしまっているのではないか……。
詩の葛藤を経た勇敢な行動をみて、
ハッと身につまされる思いになった。
恭子と共にすすめてきたウェディング会社のイベント内容を、直前になって詩がコンセプトから変えたいと言ってきた。理由は一つ。当たり前のように、「男女」が結婚することが大前提となっている企画だったからだ。
「ずっとモヤモヤしてて。
自分はこの商品の対象じゃないんだなとか、
社会に存在することが前提とされてない感じ。
しかも、それに自分が仕事を通して
加担してるんだって気付いて、
気持ち悪いっていうか。
でも、そんなこといちいち
引っかかってたら仕事にならないし、
あまり考えないようにしてきたんだけど、
いつまで無視するんだろうって。
自分のそういう気持ち」
友人としても信頼している恭子に、今まで職場では口にしたことがなかったに違いない胸の内を打ち明けた。恭子はすぐに賛同。共に企画を練り直し、結果は大成功。男女のペアと同じように、女同士、男同士のペアも登場するウェディングドレスのファッションショーはドラマ内のもの・画面越しであっても素晴らしく、観ていて私も涙ぐんでしまったほど。
「自分が変えられるところから変えていきたい」
胸を打たれた。私も、そうしていきたい。ここから、今まで以上に強い意識を持って、文章内で使う言葉に気を使っていきたい。
もちろん、LGBDに関するところ以外でも「誰も傷つけないように書く」ということ自体がそもそもとても難しい。
出産や育児について語るとき、子供を持ちたくても持てなかった誰かを傷つけないかと考える。仕事について語るとき、事情があってキャリアを諦めた誰かを傷つけないかと考える。いろんな立場の人が目にする可能性がある媒体で、ピンポイントで何かを掘り下げて語ろうと思うとき、誰も取り残すことなく・誰にも嫌なキモチをさせることなく話すって、実はどんどんどんどん難しい。
でも、言葉には必ず意識が滲む。自分の中に差別がないこと。そこだけはこれからも、潔癖レベルでクリスタルクリアに整えておきたいと思う。今の私のように、自分は差別主義者からは最も遠いという自負があったとしても、「自信がある人ほど気をつけなければいけない」とも思っている。
「差別はいけないことだ」とは、誰だって分かっているはずなのに、ここまで世の中からそれがなくならない大きな理由の一つは、「自覚なき差別」で世の中が溢れているからに他ならない。
30までに身につけるべきは、
口にする「言葉」の選び方。
そこには必ず「意識」が滲む。
なにも、もうオトナなんだから
言葉遣いを綺麗に! 品は大切! なんて
普通すぎることを言っているわけじゃない。
たとえば、「クソ」というワードでしか的確には
言い表せない「クソ状況」というものは存在する=
T P Oさえ選べれば全く問題ない。(個人の意見ですw)
最近、プロゲーマーの女性が「身長170センチ未満の男には人権がない」という失言をして炎上しているというニュースを読んだ。
完全にアウトな発言。かばおうとも思わないけれど、実はどうやら「人権」という言葉そのものが、ゲーマーたちの間ではわりと日常的に “人権=市民権=参加する権利なし!”みたいな感じでライトに使われているという背景もあるそうだ。
故に、いわゆる「人権」という意味で使ったわけではないようなのだが、だからといって「人権」という本来とても重い言葉を“自分のタイプじゃない”という意味で、公の場でサラッと言ってしまうというのはあまりにも無教養。(だし、その発言のすぐ裏側にある本音(本性)がダダ漏れてしまっている)。
だけど、人は誰だって、失敗から学ぶことができる。その発言に傷つけられたからといって、相手を決して許さない姿勢でとことん攻め続けるのはまた違う。
これはかなり重たい失敗例なので含まれないが、「言葉選びの失敗」という点においても「30までに問題」はついてくる。
まぁ、若いからまだ仕方がないかって
多目に見てもらえるのは20代までだ。
同じ失敗をしても、
「若いなぁ(苦笑)」から、
「教養のない人間だな(真顔)」へと
世間の感想はガラリと変わる。
それはもうシビアなまでに!!
「教養」といったって、
なにも難しい事じゃない。
必要なのは、
「自分とは
異なる他者への思いやり」。
―――つまりは「想像力」。
使う言葉から変えていこう。
そこから意識も変わってく。
自分が発する言葉に
自分のまわりも影響を受けていく。
すると、
そこから世界は、
やっぱりどんどん変わっていく。
◆次回予告◆ 2/25更新
#06「 やっぱりこれくらいはいる
と思うんです(婚活:年収二千万) 」
profile_LiLy
作家。81年生まれ。神奈川県出身。蠍座。N.Y.、フロリダでの海外生活を経て上智大学卒。著作多数。Instagram_@lilylilylilycom
◆「ABEMA」オリジナルシリーズ新作ドラマ
『 30までにとうるさくて 』番組概要
毎週 夜10時スタート(全8話)
企画・プロデュース:藤野良太
脚本:山田由梨
演出:金井紘
出演:さとうほなみ・山崎紘菜・佐藤玲・石橋菜津美
<あらすじ>
「30歳までに結婚しないと…って焦るけど、なんで?」「子供を産むなら年齢は気にした方が良い?」 「29歳、私たちこのままでいいのかな」など、“30歳”という節目の年齢を意識する女性ならきっと誰もが一度は感じたことがある悩みや焦り、怒りを抱えながらも、自分たちの意思で乗り越えていく姿を、ユーモラスかつ痛烈にオリジナルストーリーで描く、現代の東京を生き抜く29歳独身女性たちの恋、キャリア、性、友情の物語。
番組の視聴はこちらから♡